この星が、好きだから― 私は、ティターンズ。


by fch_titans
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カテゴリ:主張( 13 )

休養生活に入り、はや2ヶ月。
先月までは残務処理などでヘトヘトだったが、今月に入ってからは比較的落ち着いている。
(それでも、家庭内でいろいろ問題が起こり、必ずしも平穏とは言い難いが…)


赴任中のように朝5時半ごろ起床する必要はないが、それでも遅い時間までダラダラ寝て過ごすことはしていない。
むしろ、家族の中では最も早起きなくらいだ。
そして、やはり赴任中には一切読むことのなかった新聞に、毎朝目を通すようになった。


今朝もいつものように紙面をめくったわけだが、その中のコラムに、色々と考えさせられるところがあった。


『無学』、『分別』、『精進』という言葉は、普段の生活の中でもときどき目にするものである。
ところが、仏教においてこれらの言葉は、世間一般で言われる意味とはニュアンスがかなり異なるようである。


『無学』『分別』については割愛するとして、三つめの『精進』。
一般的には、「目標に向かって努力を重ねること」を意味する。
しかし、仏教においては意味が違う、と筆者は綴る。


まず一つには、「頑張り過ぎて疲れてしまう、そんな人生は楽しくない。人生はもっとゆったり、のんびり、ほどほどに過ごすべき」という。
そして二つめに、「人は欲望を満たすために努力をしているが、仏教の教えは『少欲知足』、つまり欲望を少なくし、足るを知る心を持つべし。そして、欲望を少なくするするための努力、それが『精進』である」とのことである。


うーん、と考えさせられるような内容であった。


実は、物欲の面においては、「控える」ということを実践しつつある。
最近、マウスとプリンタを新調した際にも、これまでのハイエンド志向(言い換えれば、高性能なものを長く使う)を見直し、マウスは新品とはいえ型落ち、プリンタも中級のちょっと下のもので手を打った。


だが、来年の車検で退役を考えているサイコガンダム(GL1500)の後継機に関しては、やはり同じクラスのものが欲しい。
10年来身に付いてしまった、どデカイバイクを悠然と転がす感覚は、なかなか簡単に決別できそうもないから。
さすがに1800には手が出ないが、比較的年式の新しい1500なら… というのが、正直なところだ。


そんなクルマやバイクについても、考え直したい。
バイクは、600ccのスクーターあたりでもいいかもしれない。
そりゃあGLと比べてしまうと車格もパワーもかなり下回るが、それに慣れてしまえば気にすることもないかと。
高速走行とて辛いこともないだろう。「そこそこ」に飛ばすことはできそうである。
ボックスを付ければ荷物だって十分に載るし、燃料の消費も減るはず。運転も安楽だし。
クルマについても、そんなに大きいもの、高性能なものは私には必要ない。
昔乗っていたフランス車は良かったなぁ、また乗ってみたいなぁとも思うが、それは超大型バイクと合わせて、いずれ経済的に余裕ができたら実現すればいいことだ。


このように、欲望を少なくすることはある程度実践しているものの、「欲望を満たすための努力」については、御仏には申し訳ないが、止めるわけにはいかない。


一昨年末に書いた、二つの作戦、「資格取得」と「伴侶(候補)探し」は、今でも継続中である。
…いや、後者については、正確には「休止中」であるが、断念には至っていない。
冷静に考えれば、仮にこれから仕官先が決まり社会復帰を果たしても、今から得られる収入を鑑みるに、もはや可能性は希薄と言えよう。
だが、それでも諦めない。閉ざされつつある重厚な鉄の扉に、指一本でも入れられる隙間がある限り、全力でこれをこじ開けんとするものである。


前者についても、現在、猛勉強中である。
先月までは忙しかったこともあり、ダラダラのんびりという感が否めなかった。
しかし、先週の日曜にある出来事があってからというもの、やる気が爆発的に上昇した。
このモチベーションを維持できれば、今年こそは…!?


そういうわけで、仏教の教えを一部は受け入れつつも、やはり「愚か」なひとりの人間として、自ら掲げた目標に向かって努力していく所存である。


最後にもう一つ、季節に関する記事を読んで、私が思ったこと。


先日の長期予報によれば、今年の冬は厳しい寒さが長引き、春の訪れも遅くなりそうだという。
私個人においては、いろんな意味で春の訪れはもっともっと先になるやもしれぬ。
だが、それでもいい。
今はこの土中にあって、ひたすら力を蓄えよう。
そして時期が来たならば、さんさんと輝く太陽の下、元気に芽を伸ばしたいものである。


おっと、午前10時を回ったか。それでは勉強を始めるとしよう。
今日はどこまで進められるかな?
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by fch_titans | 2012-02-18 10:16 | 主張

2・26の誓い


復活した。精神的に(笑)


先に述べた「病気」の原因は、解消されずにまだしっかり残っている。
この数日間、仕事中も、食事中も、勉強中も、とにかく寝ている時間以外はずっと悩み苦しんでいた。
そして、いろんなことを考えていた。無駄だと分かっていても、考えずにはいられなかった。


しかし昨日、考え抜いた末に、ひとつの結論が導き出された。


これまで、「苦しみからどうすれば逃げられるか」とか、「苦しみに打ち勝つために心を強くしなければ」などと考えていた。
これらは間違っているとも言えない。だが、もっと私らしい対処法を思いついたのだ。


それは、「受け入れる」ということ。


逃げ惑う必要はない。無理にはねのける必要もない。
ただ、じっくり向き合えばいいのだ。
その上で、持ち前の明るさやひょうきんさを忘れずに日々を送るのだ。


そう考えついたとき、暗く沈んでいた心が、ふっと軽くなるのを感じた。重々しかった体の動きさえも、軽快になった。


「辛いときも、苦しい時も、それを決して表に出すことなく、明るく、面白く、笑顔で振る舞う」
これこそが、私の行くべき道と悟った。


上記を『2・26の誓い』と称して肝に銘じ、今後はいかなる時も笑顔でいられるよう努めていきたい。




さて、次は誰もが(本人も?)忘れてしまっている「神戸編」かな?
(待っててね、BPさん:爆)
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by fch_titans | 2010-02-27 12:19 | 主張

ネバネバ騒動去りて―




確かに、ちょっとショックではある。


先日発覚した、「あるある○辞典」の捏造問題。
納豆にダイエット効果があると放送してから、店頭の納豆が売切れてしまうなどの社会現象が起こっていたが、ここへきてその内容のうち、少なからず架空のでっちあげが含まれていたことが発覚したらしい。


「らしい」と他人事なのは、私自身がその放送を見ていなかったからだ。
納豆バカ売れ現象がニュースで報じられたことにより、放送があったことをようやく知った、というのが実際のところである。


それにしても、私もあの番組はけっこう見ていたし、内容も参考にすることが多かっただけに、今回の捏造は残念である。こういうことが一度あると、過去の放送内容がすべて真実であったとしても、疑いの目で見られてしまうのは仕方の無いことかもしれない。


さて、これで納豆が売り切れ続出―という現象は収まるはずだが、納豆に対するマイナスイメージが生まれるとしたら、これも馬鹿げた話である。


今回の問題は、「ダイエット効果もある」と一旦は謳われたものの、それはウソだった、というものに過ぎない。
報道機関としてはあってはならない重大な問題であるが、こと消費者や納豆関連の業界に関しては、はっきり言って何ら問題となるものではない。
製品中に異物が混ざった、品質に問題があった、あるいは健康を害する成分・作用が発見されたなどといえば、これは一大事であるが、今回の問題はこれらとは全く異なる。


「納豆なんて大嫌いだけど、痩せると聞いて無理して食べていた」という人は、即刻やめたほうがいい。わざわざ嫌いなものを食べてストレスを溜めることもあるまい。
しかし、「嫌いではないし、たまに食べていたけど、痩せると聞いて食べる量を増やした」という人は、従前どおり、ぼちぼちと食べていけばいい。
そして、まさかいないとは思うが、「納豆はけっこう好きだったけど、もう食べるのをやめよう」なんて考える人がいたら、言っちゃ悪いが愚の骨頂である。


納豆はかなり前から、血液をサラサラにするだとか、ガン予防にいいとか、色々なメリットが指摘されている。痩せることを重要視する気持ちは解かるが、「健康」はもっと大切であり、それに寄与するという点で納豆は優れた食品であると思う。
一日三食納豆だけを食べていたら体を壊しそうだが、そうでもない限り、納豆を食べ過ぎて健康を壊すということは考えにくい。だから、どんどん食べればいいのである。


突然売れ出してしまい、増産のためフル回転を余儀なくされたと思ったら、急に肩透かしを食らってしまった食品業界関係者は大変だったろう。お察し申し上げる次第であるが、それにしても日本人の国民性が如実に現れた、滑稽な現象であった。


ついでに書いておくが、「痩せると聞いて頑張って食べたのに…」とお怒りの消費者各位にもお察し申し上げるものの、正直、私は呆れてもいる。
それを食べるだけで、しかもたったの2週間ほどで痩せられる都合のよい食品やダイエット方法なんぞ、そうそうあるものではない。
そんなお気軽に痩せようなんぞ、甘いわ!!
ダイエットとは、努力と苦労の積み重ねなのだ。




「ローマは一日にして成らず」

これを肝に銘じるべきである。
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by fch_titans | 2007-01-21 15:50 | 主張

なんでだろう―





神戸・宝塚作戦第2章や、すったもんだの車検入庫編など、書きたいことは色々あるが、今日はそれらを置いといて、どうしても書いておきたいことがある。




歳をとってきたからだろうか、ここ数年、やけに涙もろくて困っている。
もっと若いころならそれほどグッとくることがないような事象でも、思わず胸にこみ上げることが多くなってきた。


さきほど、オヤジのクルマにガソリンを入れてきて欲しいと頼まれ、ひとっ走りしてきて、家に戻りつつあったときのこと。
クルマのテレビの音声だけを聞いていたところ、ふと気になることがあり、クルマを車庫に停めてからすぐに外には出ず、今度はちゃんと映像と音声で見聞きした。
そして数分後、私はまぶたからあふれ出る涙を抑えきれなかった。











何を見ていたのか。













映画? ドラマ? 違う。














感動のドキュメンタリー? それでもない。





















NHKの9時(21時)のニュースだ。


その中で報じられた、承諾殺人事件に対する地裁判決のニュース。




実は、夕方に携帯の簡易ニュースで触れ込みは知っていたし、19時にはNHKラジオのニュースで詳しい判決の内容を聞いていた。


が、テレビのニュースでは、事件発生に至ったの経緯がレポートされており、それを見た私は身に詰まされて、いたたまれなくり、思わず泣いてしまった。




そりゃあ、人を殺すことは良いことであるはずはない。
そして実は、被告にはまだ救済の道が完全に閉ざされていたわけではなく、まだわずかな可能性が残されていた。
だが、役人の説明不足により誤解をしてしまった被告は、「もはやどこにも道はない」と悟ってしまったのであろう。


このような出来事は、一見すれば2時間ドラマにもありがちな話だが、それならまだ涙は堪えられよう。
しかし、これは現実に起こってしまった悲劇である。
そして、ここまではいかなくとも、その一歩手前まで来てしまっている人々が、少なからずこの国に存在するはずである。


「勝ち組・負け組社会」と言われるようになって久しい今の社会。
それが直接の原因ではなく、国家・自治体の財政の貧窮なども原因の一部であろうが、とにかく、このように生死の境目まで追い詰められた社会弱者を遮二無二助けるのではなく、むしろ切り捨てようという風潮が感じられるのは、悲しいことだ。


こんな世の中だと、弱者としてはいきおいその「勝ち組」を嫉みたくもなるのだろうが、私はそうは思わない。
不断の努力の結果として豊かな財を築いた人は立派であるし、脱税などの不義を働かず、納税の義務を忠実に果たしているのであれば、非難をする道理などない。


そう、税金で思い出したが、自己の退官後のために訳のわからない法人を次から次へと創り出し、天下って多額の報酬を得ている高級官僚たち。
税収が伸びず、社会政策にもなかなか資金が回らない中で、その貴重な税金を惜しげもなく食い物にする。
糾弾すべきは、こういう輩どもである。


彼らがこの判決のニュースを聞いたら、どう思うだろう?


…いや、だいたい想像はつく。
「何とも思わない」だろうな、きっと。


恥を忍んで書いてしまうと、私は社会全般から見ればかなりの低所得層に位置する。
そんな今の私に、何ができるだろう?


残念ながら、これといって力になることはできない。


今できるのは、自らに課せられた納税義務をきちんと果たすことと、殺された母親の冥福を祈ること、そして、被告が事件から立ち直り、せめて残りの人生を彼なりに幸せに生き抜くことを願うことぐらいである。
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by fch_titans | 2006-07-21 23:50 | 主張



ある平日の朝、仕事に向かうときのことである。


やや強い雨脚の中、片側1車線の町道の脇の歩道を、時間を気にしながらジムQ(あ、知らない方、すみません。こいつのことです)で飛ばしていた。
けっこう曲がる車の多いT字交差点が前方に迫る。私の進路は、そのT字の縦棒を横切る格好になる。
車の流れを見ると、ウィンカーを出して曲がろうとしている軽がいた。


微妙なタイミングだった。
もう少しペースを上げれば、何とか先に横切れるかな? いや、そこまでしなくても、止まってくれるかな? などと考えていたが、何故だかイヤ~な予感がした。急いでいるし、自転車ゆえ速度を落としたくなかったが、とりあえずブレーキレバーを握り、徐行。
すると…


イヤな予感は的中した。
その軽は、こちらのことを気にするそぶりも見せず、フツーに曲がってきた。
で、歩道をふさいで私の進路に立ちはだかったその時、ドライバーのおばちゃんと目が合った。おばちゃんはビックリしたような表情をしていた。
その表情から察するに、私の存在に気付いていなかったようだ。


でも、ちょっと待てよ!?
見通しの利かない交差点の影から出てきたなら、話も分かる。
しかし、ここは建物もなく、バッチリ見通しが利く場所だ。
しかも、真正面から走って来る自転車に気が付かないって、どういうこった?
前を向いて走ってりゃ、イヤでも視界に入るはずなんだけど…
正面でさえ気付かないようだと、この人、巻き込み確認なんて絶対してないだろーなぁ。


それにしても、やっぱり「かもしれない運転」は大切だ。
これがもし、「だろう運転」、すなわち、気が付いて止まってくれるだろう、という勝手な思い込みで、減速せずにそのまま突入していたら…





教訓:路上では他人を信用すべからず。
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by fch_titans | 2006-03-10 23:27 | 主張



こんな記事があった。


ふーん、そうなのかぁ。
下の階が効いていれば、上はOFFでも意外と暖かいのか。


それだったら、一方はずっと暖房ON、もう片方はずっとOFFなんて不平等なことをしないで、ビル全体でローテーションを組めばいいんでない?
今日は奇数階がOFF、翌日は偶数階がOFF、みたいに。
それだけでも、全階で常時ONにするのに比べて、単純に半分も節約できる。


もっと突き詰めれば、3組に分けて3日周期のローテにすれば、1/3にまで削減可能だぞ。
まあ、そこまでやっちゃうとさすがに寒いかもしれないが…


暑いのは、対処するにも限界がある。
脱げばいいったって、さすがに素っ裸まで行っちゃうとマズイから(笑)
だから冷房は必須になるが、暖房は工夫すればかなり節約ができそうなので、夏に何ともならない分を冬で取り返すのはいいことかもしれない。
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by fch_titans | 2006-02-28 22:42 | 主張

合併の弊害

ieさんのブログを読んでいて思ったのだが、昨今の合併の嵐による新市名の氾濫は、そこに住む市民の方々ばかりでなく、我々ツーリング愛好家にも多大な影響を与える。

初めて訪れる地域はもちろん、あまり慣れていない地域を走る場合は、地図がたいへん重要な情報源となる。
新しい道路ができたりすることも多く、交通環境はめまぐるしく変わり続けるので、毎年新しい地図に買い換えるのが理想ではあるが、エリアごとに分かれている地図の全てを買い換えていたら、費用だってバカにならない。
だから私は、行こうとするエリアの地図が2年以上前のものである場合に、その都度買い換えるようにしている。

ところが、今度の大合併のせいで、全国のいたるところで地名が変わってしまった。
そのせいで、手元にある地図の地名と、現状の地名との不一致があちこちで発生してしまったのだ。

私が愛用しているツーリングマップルは、毎年4月ごろに新年度版が発売される。これが新市名に対応しているかどうか、まだ確認していないが、仮に対応していたとしても、実はイタチごっこだったりする。
というのも、合併はこの春までで全て終了、ってわけではなく、今後1年の間にもまだけっこう実施されるのである。
したがって、そろそろ新しい地図を…と望んでいても、どうしても二の足を踏んでしまう。

また、これも未確認だが、もし道路上にある案内標識までもが新名称に変更になってしまったら、大いに困ってしまう。

私は、より走りやすい、より景色のいい道を求め、あえて主要道路を離れてマニアックなルートを選ぶことが多々ある。そういったどマイナーな田舎道などでは、この案内標識だけが唯一の手がかりとなるケースも少なくない。

そんな蜘蛛の糸的な存在である案内標識の地名までもがゴチャゴチャ変わってしまったら、それこそ大混乱に陥ってしまうってもんだ。
また、何度か通ったことのある道であっても、頭の中のデータが無効になってしまう。
だからって、どこそこがどう変わったかなど、いちいち把握もしていられない。

となると、国道○号とか、県道○○号といった数字をひたすら追うしかないのだが、交差点を曲がって数kmほど標識が出てこない、なんてこともザラなので、コースミスに気付かず走り続けてしまうことも懸念される。

うあぁぁー! 考えただけでも、厄介だぁー!!

もう面倒だ! この際ぜーんぶ戻せ! 戻せー!!

ったって、そりゃアカンわなぁ…

早いとこ、合併のほとぼりが冷めることを祈るばかりである。
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by fch_titans | 2005-04-27 01:36 | 主張

困った人々

私はどうも文章力に欠けるのか、あるいは欲張りなのか、物事を短くまとめて書くことができない。
コメントしようとして、字数オーバーに陥るケースがしばしある。
そんな私にとってありがたい機能が、トラックバックだ。

というわけで、まずはこちら、BPさんのブログをお読み願いたい。
規制強化
この内容に対する私の見解を書かせていただくとしよう。

私も、どちらかといえば反対だ。というか、あまり意味がないと思う。
そもそもそんな装置を付けたところで、すぐに解除機構を誰かが考案し、市場に売り出すであろう。で、車検のときだけ元に戻して…

それにしても、日本国民の全部ではないけど、一部のマナーの悪さには閉口してしまう。
今日も、ケータイ片手に運転している人をたくさん見かけた。中には、住宅地の狭い交差点を、片手で曲がって行く人も…
そんなんでもし自転車が飛び出してきたら、片手で回避できるのだろうか?

いつだったか、テレビのニュースでインタビューを受けたビジネスマンが、
「違反だって分かってはいるんですけどねー…電話に出ないと仕事にならないんで」と言っていた。
それならひと昔、まだ携帯が世に普及していない頃は、どうだったんだ?
仕事にならず、業務がパンクしたか? もしそうだったら、高度経済成長も何もあったものじゃない。
後からかけ直せばいいのではないのか?
もし運転中で電話に出られなかったことを理由に、顧客が怒って取引をやめてしまうのが常識なら、こんな国、滅びてしまえばいい。
ビジネス優先で安全軽視となれば、それこそどこかの国と一緒になってしまう。

とにかく、運転中の電話を違反条項に加えても、警察に見つからなければいいという甘えで、こういった危険な行為をしている人ばかり。
だったら、事前に軽い刑罰で予防を図るよりは、違反が元で事故を引き起こした人に、取り返しが付かないほどのペナルティを用意したほうがいいのではないだろうか? 

現行の法によれば、運転中の携帯使用で捕まれば、違反点数2点、反則金が普通自動車で9000円。これは、見方によっては非常に手ぬるい。
だが、もし携帯で話しながら運転中に人を轢いたら、無条件で懲役30年が科せられるとしたら…走りながら携帯を使うだろうか? 私は、とてもじゃないか怖くてできない(おっと、私は罰則がなくたって、運転中は通話しないよ)。

確かに、事故が起こって人が死んでからでは遅いというのはある。だから事前に抑止を図るわけだ。だが、新しい道交法が施行されて、実際に違反者はいなくなったかといえば、 減ったかもしれないが、まだそこらじゅうに確実にいる。これでは完全な抑止効果とは言いがたい。
上記のような手法のほうが、よほど抑止につながると思うのだが、いかがなものか?

シートベルトから話が逸れてしまったが、とにかく、ちゃんと分かっている国民にまで余計なお世話をかけるのではなく、マナーを守らない不貞な輩に照準を合わせた政策をお願いしたいものだ。

シートベルト警報音よりも、大人も含めた国民の教育のほうが、優先事項である。
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by fch_titans | 2005-03-15 20:59 | 主張

そりゃ、オカシイだろ。

セントレアが大盛況である。

先日ニュースを見ていたら、ものすごい人出。
しかもその大半は、空港の見物客だ。
中には、ツアーだか何だか知らないが、観光バスで大挙して押し寄せる団体も。
エスカレーター前はロープで仕切ってつづら折れに歩くよう整理され、飲食店ではなんと3時間待ちのところまである始末。

インタビューに応じた旅客曰く、
「食事できないです」
「飛行機に間に合わないので、困りますね」
旅客は笑ってそう答えていたけど、笑ってる場合じゃないだろ。
いや、表面上は笑っていても、内心はきっと腹を立てているに違いない。

セントレアは、温泉まであることが象徴するように、観光スポットとしての性格をも併せ持つ空港である。
が、空港は本来、飛行機に乗る人々が利用する施設のはず。
なのに、ただの見物人の割を喰って、旅客が食事もロクに摂れない。
こんな理不尽な話があるか?

空港のお偉いさんのコメントは、
「これだけたくさん来てくださるのは、とてもありがたいですけど…」
「ほどほどになればいいな、と思います」
ちょっと待て。「いいな」って何だよ? 他人事みたいに。
んなもん、新しい空港をひと目見たいという群衆心理に、ブレーキなどかけられる訳ないだろ。

何か策をとれっつーの。

例えば??
そうだな、エスカレーターや通路などは、飛行機に乗る人専用の通路を設けて、移動しやすくしたり。
飲食店もそう。店の半分は旅客専用スペースにしてしまえばいい。
チケットを持っている人と、その見送りの人だけが利用できる。そうすりゃ、搭乗前に滞りなく食事を済ませられるってもんだ。

ついでに、見物客にもひとこと言っちゃおうか?

愛知が誇る新しい空港、一度は見てみたいという気持ちは、理解できる。
が、あそこは万博と違って期間限定ではない。いついつに閉鎖されるってこたぁない。
札幌の雪祭りじゃあるまいし、そんなに急いで行かなくたって、融けて無くなりゃせんわい。
もうちょっと落ち着いてから行ったらどう?

「周りの人はもう見に行ったのに、私はまだだわ」なんて慌てるのは、ナンセンス。
2、3年も経てば、空港はそこにあって当たり前の、取り立てて騒ぐほどの場所ではなくなる。
ワタシもう見てきたワ、なんて優越感は、ものの数ヶ月で消えうせる。
だいたい、食事をするのに何時間も並びたいか?
こういう所は、ほとぼりがさめて空いてきたころに行くのが、いちばん快適だと思うぞ。


ちなみに私は、飛行機でどこかへ行く用事でもない限り、あそこへ行くつもりはない。
が、知多半島周遊ルートは、手頃かつ絶好の日帰りツーリングコースなので、空港の影響で道が混むのは、ちょいと困るなぁ…
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by fch_titans | 2005-02-26 13:28 | 主張
死刑容認
ちょいと重苦しい話題だが、死刑論について書いてみることにする。

結論から言うと、私もせと氏の考えに近い意見を持っている。

なぜ極刑として死刑なるものがあるのか? それはやはり、多くの人間が最も恐れるのが「死」だからであろう。
しかし、もし重罪を犯した犯罪者が、死を何とも思わない、むしろ死んでしまったほうがいいとさえ考えているならば、死刑は何ら抑止効果を持たないことになる。
従って、あっさり死なせるよりも、一生、それこそ死ぬ間際まで労働させる、いわゆる「終身懲役」のほうがいいのではないだろうか?

終身懲役には、二つの効果がある。
ひとつは、先に述べた抑止効果。
人間、死んだらそれまで。地獄に落ちたらそれはそれは大変だろうが、んなモンあるかどうか分かったものじゃない(というか、まず無いだろう)。
しかし、終身懲役の場合、収監時の年齢によっては、以降半世紀近くも塀の中で労働を続けなければならない。考えただけでも、気が狂いそうな話である。

そしてもうひとつは、労働が生み出す価値。
犯罪者の死からは、何も生まれない。しかし、労働をさせれば、それにより一定の価値を生み出すことができよう。当然、生命を維持するための食糧費は必要となるが、その分の元は取れるはずだ。
そうして生み出された価値の余剰分を、「被害者救済基金」として集約し、被害者の遺族などに配分すればいい。一家の大黒柱を失った遺族などには、多少なりとも助けになるはず。 犯罪被害者への救済制度が充実しているとは言い難い日本において、少なからず意味のあることではないだろうか?
もちろん、殺された人の命がお金で帰ってくるわけではないが、加害者を殺すことによって被害者の命が戻るわけでもない。それならば、加害者の将来を奪っておしまいにするより、加害者の残りの人生をフルに使って償いをさせるべきである。

かのアメリカでは、犯罪の種類によっては、懲役百何十年などという、事実上の終身刑が下されることが多いが、我が日本においては死刑の次は無期懲役。これは服役態度によっては、将来出所できる可能性を残すものであるから、死刑との差は大きい。
よって、死刑と無期の間に加えるか、あるいは死刑にとって代わるものとして、終身懲役の制度を加えるべきだと、私は常々思っている。
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by fch_titans | 2005-02-20 01:07 | 主張