この星が、好きだから― 私は、ティターンズ。


by fch_titans
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カテゴリ:その他諸々( 76 )

初乗り       

昨年の11月からすっかりサボりがちになっていたジョギングだが、正月の三が日が明けた後、ほとんど休むことなく毎日走っている。
(今は日中ほとんど動かないため、そうでもしないとまた大変なことになるので…)


しかし春以降、またサイクリング(またの呼び名を「部活」!?)のお誘いもあるだろうから、自転車にも慣れておく必要がある。


そうは言っても、いかんせんこの寒さゆえ、なかなか自転車に乗ろうという気が起こらない。
(スピードが出る分、余計に寒いし;)
また、自転車はカバーをかけて裏手に保管してあるので、いちいち引っぱり出したり、またしまったり— というのが面倒というか、億劫だったりもする。
なので、どうしてもジョギングのほうを選択してしまうのである。


ところが、今日はたまたま日中に自転車で出かける用事があった。
(というより、敢えて自転車で行くことにしたのだが)
せっかく久し振りに表に出したので、夜まで外へ置いといて、今晩はその自転車で走ってみた。


すると、エラい!(=尾張弁(?)で、「しんどい」の意)
いつもジョギングでは、4km弱のコースを30分弱で走る。
今日は同じ時間で10kmちょっと走ったのだが、どういうわけかこちらのほうがキツく感じた。
珍しく風もなく、自転車には最適なコンディションであったにも関わらず、だ。


やはり、幾度か中断があったとはいえ、ジョギングはもう3年続いているのに対し、自転車は本当にたまにしか乗っていない。
昨年の秋、7ヶ月ぶりに乗った自転車で某部活に参加し、地獄を見たことは記憶に新しいが(当ブログには書いてないけど…)、とにかくそれくらいしか乗っていないのである。
そういえば、脇腹も痛いことから、やはり自分の足で走るのとは、使う筋肉が異なるということであろうか?


ただし言い換えれば、ともすれば足しか使わないように見える自転車を漕ぐという行為は、意外にも全身運動に近いのかもしれない。


幸い、今の季節は雨が降ることが少なく、カバーをかけずともロックさえしておけば、とりあえず表に置いておくことはできる。
なので、明日からもしばらくはジョギングに代えて自転車で走ってみようかと考えている。


次に天気が崩れるのは金曜あたりなので、木曜の夜までは自転車に乗れそうだな。


ちなみに、ある作戦を画策中であることに伴い、自転車にiPhoneを搭載したいので、現在ホルダーの装着を検討中である。
我が軍の所属機は3機ともハンドルバーのスペースに余裕が無いため、色々頭を悩ませながら勘考せねばなるまい。


ああ、何だか久し振りに、自転車熱が復活してきたかも!?
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by fch_titans | 2012-01-16 23:25 | その他諸々
まさか、新年2回目の更新が、このような内容になるとは…


およそ3年半前、実家で飼っていた兄弟犬のうち、兄が死んだという出来事を書いたが、生き残っていた弟「パル」が今朝、息を引き取った。


小柄ながらもものすごく食べるので、年々お腹だけが太っていき、頭は小さく、足も短いのに、胴体だけがやたら太いというアンバランスな体型が何ともファニーでかわいかった。
(それゆえに、最近では「タヌキ」呼ばわりされていたが…)


小さい頃から病気知らずで健康そのものであったが、もともと心臓が弱い血統で(兄も心臓病が発端となり死んだ)、おまけに肥満もいいところであったため、獣医から「肥満を改善するように」と、いつも口酸っぱく言われていた。


それでも、満14歳を迎えてなお健康そうに見えていたのだが、昨年秋ごろに突然発症、以来、ずっと咳こむ日々が続いていた。
そう、かつて兄がそうであったように。


10月ごろ、そして12月の下旬に、激しい発作を起こして死にかけたものの、注射を受けてどうにか症状は収まっていた。
しかし、大晦日から急にグッタリしだしたのである。
それまでどんなに元気がなくても、好物を鼻先に持ってゆけば目を爛々と輝かせ、ものすごい勢いで食べていたのに、とうとう食べ物を全く受け付けなくなった。


「いよいよダメか?」
「年が越せるのか?」
誰もがそう思ったが、年が明けて4日くらいから徐々に食欲が復活、半分閉じていた目もぱっちりと開き、ヨタヨタだった歩き方もしっかり元気になった。
その姿を見た家族は皆思った。
持ち直したかも!? と。


だが、今思えば、それは命が燃え尽きる前の、ほんの一瞬の輝きだったのかもしれない。
昨夜から容態が急変、息は荒く、苦しそうにうめいていた。
そして今朝、診察時間を待って病院に連れて行くつもりでいたが、残念ながらそれを待つことなく、母に抱かれながら、天に召されて旅立って行った。


私はこれまで、ペットのみならず、祖父母や親類なども含めて、「死に目」というものに遭ったことがなかった。
だが今回は、息を引き取る最期の瞬間を、しかとこの目で見届けることができた。
「できた」などという表現はいささか不謹慎かもしれないが、初めて、天国への出立の瞬間を見届けることができたのである。


近所の寺でお経をあげてもらい、今は部屋の隅に安置してある。
午後は父と共に墓を作った。
あさってには、先に眠っている兄の隣に埋葬する予定である。


今回の死はあらかじめ予見されていたことゆえ、自分としては冷静に受け止めることができたと思っている。
だが夕方になると、長年の習慣からか、つい「そろそろ散歩に…」などと考えてしまった。
昨日の夕方も私が散歩に連れて行ったが、あれが最後の散歩となったのか。
昨日の今ごろは、けっこう元気に歩いていたのに…
そしてもう、散歩へ出ることはないんだな…
そう思うと、心にぽっかりと穴が開いたような気がした。


14年と7ヶ月、我が家のペットの長寿記録を2年も更新し、パルは逝った。
我が家にはまだ猫が一匹いるものの、おそらくこの記録が破られることはないだろう。
それはつまり、「もう犬は飼わない」ということを意味するものでもある。


思い返せば、パルはいつも兄にべったりくっ付く(まとわり付く!?)ように過ごしていた。
寝るときも、いつも兄のそばだった。
天国に行っても、また同じようにして暮らすのだろうな。そんな気がする。


とにもかくにも、長年にわたり家族を癒してくれたことに、心から感謝したい。
パルよ、ありがとう。
そして、お疲れさま。

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by fch_titans | 2012-01-08 20:09 | その他諸々

回顧 2011年    

2011年が、間もなく終わる。


本年は日本においても、世界においても重大な出来事が起こり、まさしく激動の一年であったと言えよう。
そしてそれは、私個人においても同様のことが言えるものであった。
今日までの人生において、これほどまでに浮き沈みの激しい一年も珍しいというくらい、激動の一年となった。


仕事は相変わらず忙しく、特に1~3月は疲労の余り夕食後すぐに眠ってしまうというパターンを繰り返す毎日であった。
そんな中、昨年より続行してきた二つの作戦に尽力してきた… と言いたいところなのだが、上記のような状況に加えて、本年は「R作戦」に重きを置いてしまったこともあり、資格取得作戦のほうはおざなりになってしまった。


さて、その「R作戦」であるが、本年は実に目まぐるしく展開が変わる一年であり、また一定の戦果も得られた。


この一年を、某番組の田○トモ○ヲのナレーション風に記してみる。

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1月。
Sさんと再会し、映画鑑賞。また、Nさんと初めて面会。Nさんの友人を交えた宴会に混ぜてもらった。
その後もメール交換を続けるが、2月に入り、思わぬ話が舞い込む。


それは、お見合いの話であった。


しかし、聞けばお相手のお嬢さんは母子家庭で、かつ実家はとある商売をしている、とのこと。
そして、もし一緒になったら、将来は私もその商売を手伝うことになるのは必然であった。
なので、その話を聞いた時は、全く乗り気ではなかったのだが、紹介してくれた方には実家が常々お世話になっているので、顔を立てる意味でも、とりあえず受けるだけ受けてみる、という返答をした。


ところが、その件はとある出来事により霞んでしまうこととなる。


そう、本年の日本を象徴したと言ってもいい、あの3・11である。


世間全体に自粛ムードが漂う中、私もこんなことをしていていいのか? とも考えたが、そこは割り切って考え、これまで通り作戦を続行した。
また不思議なことに、震災以降、私へのアプローチが心無しか増えたような気がする。
震災以降、この国の多くの人々の価値観や考え方が変わったと言われるが、あるいはそれと関係あるのか? とさえ思わせるような変化であった。


そんな3月には、取り立てて目立つ動きはなかったが、メール交換などを地道に行った。


その成果とでも言うべきか、4月には立て続けに3名と面会。またSさんと5回目の面会として、ツーリングにも出かけた。


いろいろと複雑化する状況の中、その話は突然やってきた。
震災の影響で完全に流れたと思われていたお見合いの案件が、再浮上したのである。
今度は日取りもスムーズに決まり、5月、T都へ赴き、お見合いを決行。
翌日、実家から私の元へ電話があり、お嬢さんもそのお母様も、いたく私のことを気に入ってくれたとのこと。
こうして、正式に交際がスタートした。
そして、これまでメール交換をしていた数名のお相手に事情を説明し、メール交換を打ち切った。


しかし、その後メールを交わすも、相手のお嬢さんからのメールの返信が一週間ほど滞り、破綻かと思われた。
お見合いという形で始まった交際が、こんなあっさりフェードアウトするものなのだろうか?
私は混乱したが、忘れた頃に返事は来た。
月の終わり頃に、Y市にて初デート。
遠距離恋愛は正直なところ、簡単なことではなかった。けっこうキツいなと思った。
だが、その先に幸せが待っているのならば—
そう考えれば、不思議と乗り越えられるような気がした。


ところが—
デートの数日後、眠っていた私の枕元で、携帯電話が鳴った。
見合い相手のお母様からだった。
曰く、今回の話は、無かったことにしてほしい、とのこと。
「寝耳に水」とは、まさにこのことであった。
突然の交際解消。何が何だか、分からなくなっていた。


全てが振り出しに戻ったと思われたが、実はある布石を打っていた。
お見合い相手からのメールが滞った時期、一度は断ったメール相手に、「友達」としてメール交換の再開を要請。
うち2人から承諾をもらい、メールでいろいろ相談した。
また、戦場にも復帰し、活動を再開していたところ、すぐさまアプローチがあり、実際に面会。
ところが、とあるすれ違いのため、交際寸前まで行きながらも実らなかった。


その翌週、メール交換を再開した相手の一人と再び顔を合わせ、ある場所へ出かけた。
そしてその帰りに、正式に交際することで合意したのであった。
決め手となったのは、その前日の彼女からのメールだった。
その文面から、私に対する想いがひしひしと伝わってきた。
その想いに、私も正面から応えたいと思ったのであった。


7月。
浜岡原発の停止は、東海地方に非常に大きな影響を与えた。
そして、私の職場にも、予想だにしない形で波及した。
勤務体制が変わり、休日が不定期となる状況の中、どうにか休日を合わせてもらい、彼女と各地へ旅行などへ出かけた。
とても楽しく、活力にあふれた日々。
その一方で、猛暑と劣悪な職場環境が、私の体力を奪っていく。その疲労は少しずつ、しかし確実に蓄積されていった。
デートや旅行に出かけても、すぐに眠気に襲われ、休憩や仮眠を余儀なくされた。


10月。
それは、ほんのささいなことがきっかけとなり、起こった。
私は彼女と電話をしていても、頭がほとんど回らなかった。
猛暑は収まってもやはり暑く、またこの頃から仕事量が異常な増加傾向を示し始めていたため、疲れきっていた。
そして、会話中のささいなすれ違いから、彼女の態度は急速に冷め、心を閉ざしてしまった。
それに呼応するかのように、私の彼女に対する気持ちも、次第に温もりを失っていった。


2週間後、電話にて話し合った。
そして、お互いにもっと合う人を探したほうが良いとの結論に達し、3ヶ月余り続いた交際に、終止符を打った。


またもや振り出しに戻ったが、私は「凹んでなどいられない!」とばかり、すぐさま戦場に復帰し、活動を再開。
今年の追い風ムードは、まだ続いていた。
11月には、一週間という短い期間に、立て続けに3名と面会。うち2名とはその後もメール交換が続く。


だが、思いもよらぬ方向からの突風により、転覆することに—


仕事の量は増加の一途をたどり、もはや常軌を逸したレベルに。
さらに、精神的にも負担のかかるポジションに固定され、あたかも常に集中砲火を受けるような状況に置かれる。
短い休日にツーリングへ出かけリフレッシュを図るも、もはやその程度の気分転換ではどうにもならなくなっていた。


ある日、頭痛が3日続いた。
いつもの風邪気味かと思ったが、どうも様子がおかしい。
鎮痛剤が、効かないのである。
まさか、と思った。いや、否定したかった。
しかし、たまらず病院にて診察を受けた。


悪い予感は、的中した。
精神的な疾患であった。


投薬治療を受けつつ仕事に臨んだが、不調に苦しむ私に対し、仕事は容赦なく襲いかかる。
ついには、勤務中にめまいを起こすようになった。
職務の性質上、めまいによる転倒は、場合によって重度の負傷、ひいては命にさえ危険を及ぼす。


私は観念した。
「もはや、これまでか…」


私は休職を申し入れ、一定期間を置いた後、現在の職場を離れることとなった。


それに伴い、R作戦も方針の転換を余儀なくされた。
これまでひたすら攻めの姿勢を貫いてきたが、積極的な行動を自粛。
完全に停戦はしないものの、受け身ともいうべき消極態勢に入った。

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というわけで、私は現在、戦場を離れ、療養の日々を送っている。
今、立ち止まって過去を顧みるに、この3年間がむしゃらに、無理をしてでも突っ走ってきたその反動、あるいは「歪み」とでもいうべきものが、表面化したのだろうか、とも思う。
私の心のどこかに、「幸福にならなければいけない、勝ち取らなければならない」という思いがあって、その思いに過度に縛られていたのではないだろうか?


もう2時間も経たないうちにやってくる、2012年。
私は「無理をしない」ことをテーマに掲げ、新しい一年を過ごすつもりだ。
もちろん、一切の努力を放棄するわけではない。
社会復帰を果たし、全うな人間として生きてゆくのは当然のことである。
だが、必ずしも無理をする必要はない。
結果として大成しなくとも、また伴侶に巡り会えなくとも、それでいいではないか。
それもまた人生である。
このように考えるようになったのだ。


さて、そろそろ除夜の鐘が聞こえてくるころだろうか。
来る新年は、一体どんな一年になるだろう。
とにもかくにも、皆さんが健やかに過ごせることを祈るばかりである。


それでは—
さらば、2011年!
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by fch_titans | 2011-12-31 22:27 | その他諸々
ということで、今年も残り僅か。
降り出した雪を窓越しに眺めながら、この2010年を振り返ることにする。

さて、『決戦』をテーマに掲げた本年だが、結果から言ってしまうと、勝利を納めることはできなかった。

私が今、臨んでいる戦争は二つ。

ひとつは、とある資格取得戦争。
そしてもうひとつは「R」戦争である。
(まともに表記するには抵抗があるのだが、昨年の数少ない記事を読んでもらえば、想像に難くないはず)

今年は、残業がなくて経済危機に見舞われた昨年とはまったく正反対で、それはもう目が回るような忙しさであった。
従って、日々の生活に余裕はなく、勉強に充てられる余暇もぐっと減ったはずなのに、むしろ昨年よりも勉強に打ち込めた気がする。
(どうやら私は、追い込まれないとやる気が出ない性格のようである。困ったものだ)

しかし、忙しさに加え、夏の猛暑で極端に体力を消耗してしまい、人生初の本格的な夏バテ状態に陥ってしまった。ホントにもうヘロヘロだった。
試験前の大切な時期のみならず、試験当日もそうだったから… と述べると言い訳がましいが、正直、まともに本戦を戦える状態ではなかったのである。

結果は、そんな状況から見れば善戦したと言ってもいいが、敗北は敗北。
「戦(いくさ)」とは勝利こそがすべてであり、勝たなければ何の意味もなさないのだ。


そして、もうひとつの「R」戦争も、昨年とは戦況ががらりと変わった。
確実な手応えを掴めるようになったが、こちらもそう簡単には行かず、いまだ戦果を挙げるには至っていない。
だが、現在もある程度は希望を見出すことのできる状況下にあるので、ともすれば来年あたり、吉報が舞い込むかも!?


今年は、自身にも変化も大きな変化があった。
20年余りの床屋通いを卒業し、美容院という未知の世界に足を踏み入れたり、これまた10年くらい付き合いのあったメガネを卒業したり—
減量も一段と進み、久々に会う友人には驚かれたりもした。
そういう意味では、進化したと言えるのではないだろうか?
(これは、上記の「R」戦争にも一定の効果を表していると考えられる)


ツーリングに関しては、昨年に比べれば「おとなしい」一年となったが、それでも一泊のツーリングは2回、四国西部と能登半島へ遠征した。
余談だが、異性とのツーリング(タンデムシートに乗せたり、2台で走行したり)も経験でき、いい思い出にはなった(同時に、ほろ苦い想い出でもあるのだが…)。


物欲も、昨年よりはかなり抑えることに成功し、忙しい=収入増という要素も手伝って、貯金もかなり増やすことが出来た。
低空飛行で苦しかった昨年とは大違いだ。


所属機の現況だが、グレイファントムはアルミホイールを導入したくらいで、それほど変化はなし。
就任から10年目、製造から23年目(!)に突入したサイコガンダムも衰えを知らず、8万kmを超えても快調である。
一方、自転車群は使用機会がめっきり減ったこともあり、手入れが行き届かず少々マズい状態になりつつある。
来年は、少しずつでも復活させてやらねば…


ところで、これは自分のことではないが、同年代の友人・知人の間で今、幸せな報告が相次いでいる。
結婚が決まったり、再婚を果たしたり、待望の子供を授かったり—
これは、何らかの「波」が来ているようだ。
そしてこの波が、ともすれば最後の波となるかもしれない。

この波に乗り遅れてはいけない、という言い方をするつもりはない。
自分も便乗する、という言い方はよろしくない。
…などと、きれいごとを言うのはよそう。
この際、なりふり構わずやってやる。
便乗でも何でもいい、彼らの後に続くのだ。
そして、必ずや勝利をこの手に掴むのだ!


そんなわけで、来年も更新はあまりできないかもしれないが(汗)、気まぐれにアップされる可能性もあるので、月に一度は訪れていただけたら、幸いである。
(関係者には、「ヒ」でお知らせしよう;謎)



人生、死ぬまで戦争だ。
来年も戦うぞ!!


それでは、よい年越しを。
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by fch_titans | 2010-12-31 23:10 | その他諸々

Mayday!



ごぶさたであります。 


久々の更新に、「おっ、北海道の続きか!?」なんて考えている方も少数いると思われますが、残念ながらさにあらず(笑)
近況報告(生存報告?)をさせていただきたく、一筆啓上いたす所存。


いやもう、年明けから仕事が忙しい忙しい。
昨年11月に残業が復活した頃は、「12月と1月がしんどい」との予測が流れていたが、その後「2月はもっと忙しい」と上方修正。そして先日には、「3月は2月よりもさらにー」なんて耳にする始末。
右肩上がり、なんてよく言うけれど、ピークがどこか分からないのも考えもの。
このご時世にあって、稼げることは良いことだが、当然、それと引き換えに自分の時間はすっかり減ってしまった。


そんな中にあっても、資格の勉強は割ときちんと出来ている。
下手をすれば、さんざん暇を持て余していた昨年の今頃と同等かそれ以上に出来ているから、かなり頑張れている、と言ってもよさそうだ。
むしろ、制約が多い方が気が引き締まっていいのかも!?


さらに勤務時間の都合上、食事の時間や量にも変化があり、余分に働く(=動く)ことも関係してか、体重も徐々に減ってきた。
一年半前、今の仕事に就いた当初は85kgもあった体重が、今や75kg台にまで落ちてきたのである。
最近、会社でも数人から「痩せたんじゃない?」と声を掛けられたので、見た目にも変化があるのだろう。


懸命に働き、勉強もサボらずにこなす。ついでにダイエットにもなっている。
ヘトヘトだけれども、とても充実した毎日。
うむ、いいぞ、この調子だ!



ところが、そんなイケイケムードに水を差すというか、影を落とす出来事が起こってしまった。












病気にかかってしまったのである。


具体的な病名は明かすことができないが、ガンなどの命に関わる重篤なものではない。
物理的なものではなく、精神的なものだ。
(もっとも、それが原因で、胃の辺りが痛むなど物理的な不具合も起こっているが)


実はこの病気を発症するのは、初めてのことではない。
若い頃、2回ほど同様の病気を発症したことがある。
それだけに、この病気の特徴はおおよそ把握できている。


何が厄介かって、この病気を治す薬や治療方法が、これといって存在しないことである。
胃痛などの症状は胃薬などで緩和できるが、根本の原因に効き目を示すものは見当たらない。
などと書くと、「不治の病?」と思われそうだが、決してそうではない。
有り難いことに、何もしなくても時間の経過と共に症状は収まってゆくのである。
ただ、回復に要する時間には個人差があり、またケースによってかなり異なる。
早ければ1週間ほどですっかり回復することもあれば、1ヶ月経ってもすっきり回復できない場合もあるらしい。


で、今は発症2日目とあって、とっても辛い。
今日の昼あたりから胃痛まで併発してきて、たまったものではない。
ただでさえ今日は仕事がトラブル続きだったのに、まさに泣きっ面に蜂である。
これは拷問? いや生殺し!? もうそんな感じだ。


だから、とっとと月日が流れて欲しくて仕方がない。
そうすれば、ついでに冬も終わり、暖かく活発に動ける春がやってくるので、さらに都合がいい。
この冬はもう雪もしっかり堪能したから、思い残すことはない。
ああ、桜の便りが待ち遠しいなぁ…


ほら、こうやっていろいろ書いていると、もうこんな時間なんだもの。
さて、勉強は終わったから、今度は訓練の時間だ。
軽い筋トレと、坂路ジョギングを平日限定で行っているので、今からそれらを開始したい。


というわけで、本日はこのへんで。
各旅行記は、また余裕があるときに。
(○Pさん、スマン:笑)





※ちなみに、感染症ではないので、最近会ったことのある人は「まさか、うつされてないよね?」という心配は要りません(爆)
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by fch_titans | 2010-02-22 21:25 | その他諸々

回顧、2009年。

気がつけば、今年もあと4時間。
私は今、紅白も格闘技も見ずに、PCに向かっている。
外は雪、しかもかなり降っている。『ゆく年くる年』で毎年見ていた北国の大晦日を、今年は生で見ているかのようだ。


さて、タイトルにあるように、この09年を振り返ってみよう。
今年最初の記事を見てみると、本年のスローガンを「暴走」と掲げていたようだ。
(つまり、そんなことすぐに忘れてしまっていたわけだが…)
果たして、この通りに過ごして来ただろうか?


物欲に関しては、間違いなく「暴走した」と言えそうだ。


新しい車やバイクなど景気のいい買い物は出来なかったが、夏まで残業ゼロという氷河期ともいえる低収入期の割には、いろいろ手を出してしまった。
3台目の自転車、バイク用ETC、車の改造(タワーバー・ロアーバー)などがそれだ。
また、今年は長年愛用して来た数々のアイテムの更新時期もラッシュを迎えた。
キャンプ用マット(7年)、ザックカバー(8年)といったお手頃なものから、バイク用のサマージャケット(12年!)、カメラ(これは僅か2年)、そしてノートパソコン(6年半、よくもってくれた)−
そこへ、車とバイクが同じ月にそれぞれ車検、バイクのタイヤ&ブレーキディスクの総取り替え(これもかなりこたえた)、それだけでもあっぷあっぷなのに、同月に北海道ツーリングを強行するなど、まあ使った使った。
来年はもう少し控えめにしたいところだが、8年使っているヘルメットは買い替えたいな。あと、もうボロボロで一部穴の空いているバイクカバーも。あ、できれば、ナビも新しいのが欲しいなぁ。
うーむ、しばらくはまだ沈静化しないかも…


北海道で思い出したが、今年は沢山ツーリングにも出かけた。
上期は意外と少なかったが、9月以降は本当にあちこちへ出掛けた。しかも、ゴールデンウィーク・シルバーウィークにはそれぞれ九州と北海道を走った。まさに、北へ南へと駆け回った一年であった。
(休日千円割引が少なからずそれらを後押ししたのは事実)


昨年秋のリーマンショックは、日本のサラリーマンにも多大なショックを与えたが、それは私とて例外ではなかった。
先にも述べたように残業がゼロとなり、それは収入の低下と余暇の増加をもたらした。
その増えた余暇をただ漫然と過ごしたかと言えば、そんなことはない。
もったいないから何かやろうと、ある資格の勉強を始めたのである。
過去に2回ほど手を付けたが、1ヶ月も持たずに挫折したその勉強。今年は、日によってムラはあったものの、何だかんだで半年以上も続いた。
残念ながら試験間際になって何故か残業が復活し、追い込みをかけることはできなかったものの、この蓄積は決して無駄にはなっていないし、無駄にはしない。来年、またチャレンジするつもりだ。


一方、昨年秋より水面下で開始した「とある作戦」については、今年は概して散々であった。
特に上期は鳴かず飛ばずもいいところで、従前の私なら完全に投げ出していたことであろう。いや、実際何度か辞めかけそうになったが、「結論を焦らず気長に行こう」と自分に言い聞かせ、今も何とか続けている。
秋頃からぼちぼちと明るい材料も出始めてはいるが、まだまだ希望の光ははっきりと見えてはこない。
来年こそは、ぜひ結果を出したいところだ。


しかし、最も反省すべきは、このブログかも…
今年の記事の少なさには、自分でもちょっと驚いている。
秋以降は忙しくなったため仕方ない部分もあるが、連載を途中で投げ出すことの何と多きことか…
残念ながら、2月までは死ぬほど忙しい日々が続くと予想されている。それでも、出来る限りなんとかしたいところだ。


とまあ、色々あったが、今こうして無事に年の瀬を迎えていることには感謝せねばなるまい。


ところで、明日は昨年同様、単身にて初日の出作戦を決行するつもりでいたが、雪の勢いが激しい。
目的地は静岡県西部ゆえ、そこまで雪は達しないであろうが、雲が出ていてもいけない。果たして天候はどうなるだろうか。
(というか、車が雪に埋もれてしまい、出撃さえままならなかったりして…)
未明に起床した際、情報を吟味して決めるとしよう。


さて、あまりに寒いので、風呂にでも入るとするか。


それでは皆さん、どうぞよいお年を!
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by fch_titans | 2009-12-31 20:07 | その他諸々

白い狩人



それは、昨日の出来事だった。


私はT半島の産業道路を北へと走っていた。

追い越し車線を制限速度ちょいで塞いでいた他車を左からパスし、再び追い越し車線に躍り出ると、ぬぬわkm/hまで速度を上げた。
追随する者はいなかった。

気持ちよく巡航するも、こうやって単独で飛ばしているときというのは、往々にして危険が潜んでいるものだ。
この道路においても、最近、「覆面をかぶったやつ」とか、「白い狩人」の姿を頻繁に見かけている。

この道路のI.C.は「H型」をしている。流出車線のあと、すぐに合流車線が現れる。
「そうそう、こういう合流車線に、その白い狩人とやらが潜んでいることが多いんだよなー」

などと考えながら左のミラーに目を遣ると―















ホントに来やがった!



慌てて走行車線に戻り、急ブレーキにならない程度に減速し、70km/h台までスピードを落とした。
その白い狩人は、赤い光を発することなく、私の後を続く。


「ふぅ… なんとか撃墜を免れたか」


そして、次のI.C.で白い狩人は本線を離脱、ルームミラーから消えていった。



もし、深く考え事をしていたら、あるいはその逆で、何も考えずボーっとしていたら、間違いなく撃墜されていたはずだ。
そういう私も、上記のような状態になることがないわけではない。
今回はたまたま警戒していたため、難を逃れることができたが、ある意味、運がよかったのかもしれない。
もし御用となっていたら、せっかく手にした念願の黄金免許が、手元から消えるところであった。
(注:本道路の制限速度は70km/hである。)


教訓:

「石橋を叩いて飛ばせ
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by fch_titans | 2009-02-21 09:53 | その他諸々

また逢う日まで―



一行目を読み終えたとき、その思いもよらぬ内容に、一瞬、時の流れが止まったかのような感覚をおぼえた。










                  『9月7日11時20分 ベル死去』









しばらく絶句したあと、大きく、ゆっくりと息を吐いた。
そうか、とうとう「その時」が来てしまったんだな…


改めて電話をかけなおす。
ついさっき、近所の寺で供養をすませ、今は自宅に安置してあるという。
次に実家に戻るのは明日の夜、勤務終了後の予定だった。が、明日は出勤時間も遅めなので、今から帰還することも可能ではある。明日の夜遅くまで遺体をそのままにさせておくのも忍びない。
「よし、じゃあ準備をしてからすぐにこっちを出るから」
電話を切ったあと、車を逆方向へ走らせ、寮へと戻った。


寮を出て、高速を使ってK市へとひた走る。
大きく傾いた夕日と、それに照らされて紅く染まった入道雲をそれとなく眺めながら、左手を走る車の群れを追い抜いてゆく。
運転しながら、ベルにまつわる色々なことを考えていた。


ベルというのは、我が家で飼っている2匹の犬のうちの兄のほうで、齢12歳。しかし、2年半ほど前から心臓の病を発症し、寝ているとき以外は咳ばかりしている状態であった。特にここ半年くらいは一気に痩せ細り、咳もひどくなり、毛も抜けやすくなって、しっぽなどはもう禿げきってしまっていた。そんな状態ながらも自分の足でしっかりと歩き、食欲も旺盛で、まだ半年、いや1年は生き延びることができるのではないか? などと勝手に、同時に希望を込めて推測していたのだが、まさか、「その時」がこんなにすぐそこまで迫っていたとは… きっと、苦しかったに違いない。
それに気付いてあげられなかったことが、とても悔やまれた。


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それにしても、本当にかわいい犬だった。
犬は、人間の一家にやってくると、その構成や人間関係を見極め、そのうちの一人をボスとして認識するという。
我が家ではボスと目されたのは母であり、母が一緒にいるときは、他の誰が帰ってきてもあまり喜ぶ素振りは見せなかった
でも、それ以外のときに私が家に帰ってくると、ベルはそりゃあもう喜んだものだ。あるいは、母は明らかに弟びいきであったので、ボスはあくまで母だけど、そういった階級抜きで一番好きなのは私だったのかもしれない。


それなのに、そんな私だけが、ベルの死に目に会うことができなかった。
実家を離れて働きに出ているのだから、仕方ないのは重々承知している。
でも、私だけがいないときに死んでしまうなんて…


などとぼやきつつ、それでもベルの遺体と対面したら、絶対大泣きしてしまうんだろ
うな、そんなことを考えながら、高速を飛ばす。
N市の街並みを、沈み行く真っ赤な夕日がやさしく包み込んでいた。


高速を下りて向かった先は、とある料理店。
家族がそこで一足先に夕食をとっているはずだ。
中に入り、店員のお姉さんに聞いてみると、いたいた、一番奥に。
さっそく腰を下ろし、その時の詳細を聞く。


いつもどおりに散歩に連れて行くため、抱きかかえて外へ出て、スタート地点となる電柱に降ろした。ところが、その日は一歩も歩くことが出来ず、ゼーゼーと辛そうに呼吸をするばかり。これは無理だなと判断した親父が再び抱きかかえ、家の中に連れ戻した。その後だった。突然血を吐き、苦しみだしたというのだ。
慌てて近所に出かけていた母を呼び戻した。母が抱きかかえ、必死に名前を呼んだところ、2度ほどビクッと反応し、そのまま息を引き取った―
とのことであった。


「お兄ちゃんは良かったよ、死ぬところを見なくて済んで。あの子、お兄ちゃん子だったから、
お兄ちゃんだけにはそういう姿を見せないようにしたんじゃない?」


妹の一言に、ハッとした。
そうか―
独りよがりな考え方かもしれないが、ベルは私のことを好いていたからこそ、私がいない今日、旅立つことにしたのかもしれない。
つまり、私にだけは、苦しんで息絶える姿を見せたくなかったのではないだろうか。



食事を終え、少し買い物によった後、家に入り、毛布に横たえてある遺体と対面した。
覆ってあったハンカチを摘み取ると、そこには数日前と何ら変わらないベルがいた。呼吸をしていないことを除いては。いや、じっと見続けていると、まだお腹が膨らんだり、しぼんだりしているんじゃないかとさえ感じられたが、それはやはり錯覚に過ぎない。大きな目を開いたまま、少しも動くことなく横になっている。いつもと同じ表情だったが、長らく苦しめられた病気から開放されたからだろうか、その目はどことなく穏やかに感じられた。


私はベルのそばに座ったまま、酒を飲みながらずっとベルの顔を眺めていた。
絶対に泣くだろうと思っていたのに、不思議と涙は流れてこなかった。
冒頭の記述と矛盾するようだが、もう長いこと病気にかかっており、最近は衰弱も著しかったので、何ヶ月も前から心の準備が出来ていたからだろうか。


それともう一つ、
ベルの場合は、天寿を全うしたと言っていいと思う。
これまで、犬、猫、小鳥、金魚に至るまで、我が家で飼ってきた動物は、ことごとく事故で死んでいった。車に轢かれたり、近所の大型犬に咬まれたり、野良猫にやられたり…
だがベルは、晩年は病魔にむしばまれたとはいえ、それは事故ではない。やっぱり、寿命だったと考えていいだろう。
だから、「なぜ死んだんだ?」ではなく「よくここまで生きたね」と思うことが出来るのだろうな。


涙は流れ落ちはしなかったが、しかしすぐそこまでこみ上げてきてしまった。言葉を発すれば、その拍子に堰を切ったように流れ出すかもしれない。そこで私は口を開くことなく、ベルの頭にそっと手を添え、心の中から言葉をかけた。


「長い間ありがとう。お疲れさま。」





翌朝。
庭を見たら、雑草がきれいに刈り取られていた。親父が出勤前に刈ってくれたのだろう。
ここからは私の役目だ。
スコップを手に取り、なるべく深く穴を掘る。幾度となく木の根に阻まれたが、詫びながらノコギリでこれらを断ち切り、掘り進めてゆく。
20分ほどして、満足のゆく大きさの穴ができた。


部屋に戻ると、弟のパルが、ベルの遺体のそばで一緒に眠っていた。

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そう、いつもこうして一緒に眠っていたものだが、いよいよそれも見納めだ。


遺体を新聞に包み、墓穴へそっと入れる。好物だったささみのジャーキーと、いつも遊んでいたぬいぐるみも一緒に入れてあげた。
「じゃあ、お別れしよう」
涙声の母がそう言うと、家族全員がしゃがみ込み、両手を合わせた。
これから土をかぶせれば、もう完全にベルの姿は見えなくなる。当たり前のことだが、そんなことを考えたそのとき、初めて涙が頬を伝った。
名残惜しいけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。
「よし、じゃあそろそろ埋めるぞ」
私は立ち上がり、再びスコップを手に取ると、横に盛った土を遺体の上にかぶせていった。
最後に地表を平らに慣らし、埋葬が完了した。
線香に火をつけ、そっと土に差す。もう一度合掌したあと、涙を拭って立ち上がり、家の中へと入っていった。
快晴の空に、初秋の太陽が眩しく輝いていた。





あれから2日が過ぎた。


悲しいという気持ちは全くないものの、それでもやっぱり寂しさは否めない。
あの大きな瞳で私の顔を見上げ、しっぽを大きく振って喜びを表していたベル。
抱きかかえると両前足をちょこんと揃え、耳の付け根をなでるとその方向にぐるりと首を傾けたベル。
留守番を頼み、家を出ようとすると、自分も連れて行けとばかりに玄関から飛び出そうとしたベル。
それでもダメだと知ると、悲しそうな目でこちらを見ていたベル。
陽だまりの中、本当に気持ち良さそうにすやすやと眠っていたベル。


もう二度と、そんな姿を見ることはできない―


しかし。
現実の存在としては消えてしまったけれど、私の記憶から消えることはない。
何年経っても、いや何十年経っても、記憶の中ならばいつでも甦らせられる。
ベルは、家族の記憶の中でいつまでも生き続けるのだ。






最後に、こんなところに書くのは恥ずかしいのだが、この気持ちをいつまでも忘れないよう、ベルへのメッセージを記して終わりたい。


-----------------------------------------------------------------------





愛すべき弟、ベルへ。




これからもずっと私たちを見守っていてくれ、などとは言わない。
FCH家激動の12年間において、お前は私たち家族をいつでも癒してくれた。
もう十分だ。これ以上、何もしなくていい。
あの世を駆け回って、思う存分遊んでくれ。


でも、お前は本当に人間が好きだからな。
人がいれば必ず近寄っていって、傍らで寝そべっていたものな。


そうだ、それだったら、一つだけ頼みがある。
2年半前、それこそお前が病気にかかったころ、ガンで亡くなった叔父さんが、そっちにいるはずだ。
生前、よく叔父さんのアパートに泊まりがけで遊びに行ってただろう?
たぶん― そっちのことは分からないから、あくまで「たぶん」だけど、叔父さんきっと寂しくしていると思うんだ。
だから、できれば叔父さんの元へも行ってあげてくれないか?
きっと喜んでくれると思うから。




それじゃあ、さようなら―




じゃなくて、また逢おう。
何年、何十年も先になるかもしれないけど、きっとまた逢おう。



                                        不肖の兄 FCHより

                                        2008年9月10日

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by fch_titans | 2008-09-10 15:07 | その他諸々

「あー疲れたぁ! うっ、なんか頭痛いし…」
3機のマシン(とも言う)と必死に格闘しているうちに、勤務終了の時間を迎えた。
我を忘れて作業をこなしていると、時間が経つのが早く感じられる。それはいいことだが、あまり度が過ぎると極端に疲れてしまう。
まぁしかし、明日は午後からの任務なので、それまでのおよそ23時間、ゆっくりできる。
通常なら寮に戻り、のんびりテレビかネットか音楽か、あとは部屋の掃除でも―といったところなのだが、先週までと違って今日は天気がいい。時間にも余裕があることだし、行っとくか!?


カメラなどを取りに戻り、すぐさま出撃し向かった先は、T半島南部。
半島周遊コースなら、それこそ何回も走ったことがあるが、実は内陸部はほとんど走ったことがない。しかし、その内陸部にも、趣のある愛すべき田舎の風景があちらこちらに存在している、ということを、この春知ったのである。
今日はその道を、バイクではないのが残念ではあるが、まあ下見のつもりで車で走ってみよう、と思い立ったのだ。
陽が傾くのが早くなってきたが、まだ明るいので景色は堪能できそうだ。海岸線に下るころには、きっときれいな夕日が拝めることであろう。


さっそく南下してみたものの、予定ルートが全く頭に入っていなかった。
確認のためコンビニの駐車場に入り込み、地図を手に取ろうとしたときだった。
携帯電話から、珍妙な着信音が流れた。家族からのようだ。何の用だろう? バッグから取り出して開いたとき、ちょうど切れてしまった。


かけなおそうとボタンを押すと、不在着信が4件。オイオイ、どんだけかけてるんだ? さらに留守電やメールまで入っているではないか。
えーい待て待て、順番に処理するから。とりあえずメールから。って、なんだオヤジからか。
あのIT音痴だったオヤジも、いっちょまえにメールをよこすようになてきたな。
さっそく開いて読んでみる。
一行目を読み終えたとき、その思いもよらぬ内容に、一瞬、時の流れが止まったかのような感覚をおぼえた。

                  (どーいうタイミングで切るんだ!? と思いつつ、次回へつづく)
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by fch_titans | 2008-09-09 23:03 | その他諸々

さらば、トーキョー。


この週末、夜戦を終えて非番になった私は本部基地に戻り、長野編の続きを書きつつ、犬と一緒に昼寝などしてのんびりしていた―
かったのだが、非情にも、とある命令が下った。


私には妹がおり、そいつはここ3年ほど仕事の都合で東京に住んでいたのだが、同じく仕事の関係上、本部基地へと戻ってくることとなった。
そのため、東京のアパートから撤退することになり、その物資の回収が今回の任務である。


のんびりしたかったのにな、と不満に思いつつ、「で、何時に出発するんだ?」と聞いたら、なんと5時。
えっ、今、22時なんだけど… じゃあすぐ寝ないと…


そして翌朝。
実は就任してもう1年になろうとしている、アレキサンドリアの後継艦「ドゴス・ギア」と、今回支援を要請したアルファード級戦艦の2隻で、東京へ向けて出航した。
まだ早い時間ということもあり、東名高速も、浜名湖SAも混雑は無かったが、朝食を摂るために立ち寄った海老名SAはかなりの人出だった。


およそ10時までに作戦ポイントに到達する必要があったが、東名を駆け抜けてもその先の首都高が渋滞するだろうな、そう思いながらSAの情報版を見ると…


「現在、事故や渋滞の情報はありません」


そんなはずは…!?
確かに、電光掲示板に黄色や赤の区間は確認できなかった。
んー、でもアレだぞ、首都高といえば、24時間必ずどこかしらが渋滞していることで有名だぞ。実際、過去に何度か走ったときも、渋滞に見舞われたものだ。


ところが、だ。
ホントにどこも渋滞していない。
止まってしまうことはおろか、スローダウンすら皆無だ。
なんじゃこりゃ!? ここまでスムーズだと、逆に気味が悪い?


しかし、それにはやはり理由があるのではなかろうか?

そう、原油高
あくまで推測ではあるが、こうまでも燃料が高騰してしまったために、車の使用を差し控える人が増えているのではないだろうか?
しかも今日は日曜。業務使用の車は少ないと思われ、それ故さらに交通量が少ないのかもしれない。
まあ、確かに東京は鉄道網がやたらと充実しているから、よほど大きなものを運ぶでもない限り、電車で済んでしまいそうなものだ。


何はともあれ、おかげでほぼ定刻どおりに作戦ポイントに到着できた。
あらかじめまとめておいたという物資を次々と艦内に積み込み、部屋にはほとんど何もなくなった。


実はここの部屋、私には全く縁がない、というわけでもない。
とある用件のため、師走の1ヶ月ほど、ここで同居(居候?)していたことがあったのである。
だから、付近まで来たとき、見覚えのある風景に懐かしさを覚えたりもしたものだ。


修学旅行で訪れて以来、東京の地に足を踏み入れたのは十ン年ぶりだった。
深夜の高速バスで毛布に包まりながらうたた寝し、まだ真っ暗な早朝5時過ぎに新宿に着いたときのことは、今でもよく覚えている。
巨大なビル群を見上げた私は、心の中で呟いたものだ。



「えらいところに来てしまったな」、と。



いちおう23区内とはいえ、S県との境まで歩いて30分足らずのこの街。
それでも人は多く、周囲はひたすら建造物ばかり。
だから、セミの羽音を聞き、アオスジアゲハまで見かけた今日は、「なんだ、東京にも意外と自然があるんだ」と感心したりもしたが、公園や河川敷を除けば、やはり緑は少ない。
「田んぼフェチ」を自称する私が、長く暮らせる場所ではない、ってわけだ。


物資の積載を完了した我が隊は、残務処理のため数日居残る妹に見送られ、再び尾張へ向けて出航した。
東京都そのものには、この先何度か訪れることもあろう。
だが、妹が去ることとなったこの地にやって来ることは、もう二度と無いかも知れない。


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結局、操縦を代わってもらえず、ヘロヘロになりながら尾張に帰還したのは、17時ごろだった。
そのときの率直な感想。




「ナゴヤは暑ぃ…」
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by fch_titans | 2008-07-28 20:48 | その他諸々